okanがこの週末にしみじみ感じていること。
それは、
「物理的忙しさは、物理的に奪われた時間以上の時間や思考を奪っていく」
ということ。
先週のokanの仕事は、ほんと忙しかった。
新規で急ぎの業務が入ってほんとバタバタ、毎日5時間越えの超過勤務・・・。
アラフィフフィフokanにとっては、
心身ともにクタクタ・・・。
そのしわ寄せが、
平日に、仕事以外のことを何もできない、考えられない、やりたくない、だけでなく、
仕事休みの土日も何もやる気が起こらず、何も考える気が起こらず、
冬眠のように過ごした・・ということ。
実際に超過勤務として物理的に費やした時間の何倍もの時間やエネルギーと、
トレードオフしたような感覚になった。
もちろん、人生においては、
全力ダッシュのような勢いで、取り組まなければいけない場面がある。
若い時は、その後、通常の0ベースにすぐに戻れるかもしれない。
でも、年を重ねると、リカバリー力は確実に低下していて、
なかなか0ベースには戻れない。
膨大な時間を費やすということは、
時間・エネルギー・気力等の総和で考えれば、累乗的量で費やしているということ。
その仕事内の業務は、本当にすべてが必要なことか?
その仕事の提出時の精度は、現時点で本当にそこまで必要か?
その仕事を一部を得意な人にお願いして効率化する方法はないのか?
20年以上働いているがゆえの凝り固まった「思い込み」を「見直す」。
時間も気力もエネルギーも有限で枯渇を感じるアラフィフokanにとっては、
仕事に対する向き合い方を久しぶりに考えさせられた休日でした。