okanの手紙

3人の大切なこども達に遺したい言葉やメッセージ+時々あなた達の神語録。あなた達や、これを読んだ誰かの今を少しでも照らせたらokanはうれしい。

謙虚と謙遜と卑屈

謙虚と謙遜と卑屈。

似ているけど、微妙にニュアンスが異なる。

 

ざっくりokan的な解釈は、

謙虚は、今の状況を冷静に俯瞰して驕らず、まわりのアドバイスを真摯に受け止める姿勢。自分のことを意図的に下げない。

謙遜は、自分自身には才能があると自負しているが、対話の中であえて自分を意図的に下げる日本的美徳、大人な態度。

というところか。

 

そんな中、たまたまネットで出会った言葉。

「自信のない謙虚や謙遜は、ただの卑屈」。

あー、確かに的を得たり!!

 

自分の中に確固とした自信があるから、

謙虚や謙遜が輝きを持つ。

自分の中に自信ががなければ、

謙虚や謙遜は、

自分自身の自己肯定感を下げるだけで、

相手にも不快感を与える。

 

無駄に謙虚や謙遜し過ぎない。

気を付けようと思ったokanなのでした。

 

とはいえ、okanも関西人。

自虐ネタは大好きです(笑)

人生1回きりじゃない

漫画大好き小6三女が、

「めっちゃ感動した~」と勧めてくれた中原アヤ先生の漫画。

そこには、

人生は1回キリっていうけれど、

1回きりじゃない。

何回でも失敗してやり直せばいい。

何回でもやり直していいのだから。

という、中原アヤ先生のメッセージ。

 

親は、ややもすると、

我が子が、苦労しないように、後悔しないようにと、

親自身の価値観で、

「人生1回きりなんだよ」という、正しく聞こえそうな言葉で、

子ども自身がやりたいことを抑制しがち。

 

これって、実は自分自身の人生も同じ。

 

「人生1回きりなんだから」と、

リスクを恐れて、本当はやりたかったことを封印していないだろうか。

 

人生は1回きりじゃないんだ。

何回でもやり直せしていいんだ。

 

と同時にokanが思うこと、

それは、

「自分が今正しいと思っていることは、10年後正しいかどうかわからない」

「人生は、ある日突然終わるかもしれない」

ということ。

 

確かなのは、

今、やりたいというその気持ちだけ。

 

昔と比べものにならないくらい速いスピードで、

物理的にも価値観的にも変化しているこの時代。

 

未来の安泰(だと今の自分が勝手に思っていること)に最優先軸を置くのではなく、

今やりたいという、自分の気持ちに正直に生きてもいいんじゃない、

と思うokanなのでした。

(なんだか、表題とはずれた結論になっちゃったけれど(笑))

同じものを見ていても、見ている世界は違う

最近Excelがマイブームのokan。

(今さら、か~い・・・・(笑))

 

MOS から始まり、VBAを引き続き勉強中。

その合間で、さらなる仕事の効率化を求め、

Excelも再度勉強中。

 

その中で思ったこと、それは、

「同じものを見ていても、見ている世界は違う」

ということ。

 

okanは、仕事で、

それこそ20年以上、毎日Excelに向かいあっている。

ただ「Excelが得意!」という訳ではなく、

日々の業務にExcelが必要だから、

(多分Excelが得意な人から見たら、とても効率の悪いやり方で)

必要最低限の知識でExcelで業務をしている、という感じ。

 

そんな中、

50歳知命手前で、

初めて向かい合った Excel

 

率直な感想、

「めっちゃ楽しい!!」

Excelの向こうには、

okanの知らない、でも実はそんなに遠い世界じゃない、

奥深いExcelの世界があった。

「こんなこともできるんや!」

「このやり方、めっちゃ効率的やん!」

「こんな考え方したことなかった!!」

の連続!

 

そして、改めて思いました。

「同じものを見ていても、見ている世界は違う」

んだと・・・。

 

okan自身、

職場のExcelや仕事の資料は

昨日とは何も変わっていないのに、

何かを学んだ後に見るExcelや資料は、

昨日までとは全く違って見えてくる・・・。

 

きっと何事もそうなんだと思う。

 

自分と隣の人は、同じ景色を見ていても、

きって見えているものは違う。

 

昨日の自分と今日の自分は、

同じ景色を見ていても、

自分の中の積み重ねられたもので、

見えるものは違ってくる。

 

だからこそ、

自分の中に、

自分の価値観に沿ったものを積み重ねていくことが大切だと、

改めて思ったokanなのでした。

意識の問題

仕事から帰ってきたokan、

思わず「あ~しんど・・・・。」

 

高1次女が、

「『しんどい』って言ってどないなるねん!」と鋭い一言。

 

okan、

「ババアになると『しんどい』って言ってしまうねん!」

 

そんなokanにさらに一言。

「意識の問題や!」

 

そうやんな、すべて意識の問題や。。。。

「ババア」を言い訳にしたらあかんな、と改めて思った

okanなのでした・・・。

 

おまけ。

この話を小6三女に話すと、

『むちゃくちゃやなぁ〜』

とぼそり。

 

甘やかされて育った末っ子は、甘い子、いえいえ、人の痛みに共感できる優しい子に育ちました(笑)

 

グサリとくることもあるけれど、

今日も子ども達とのそんなやり取りが愛おしいokanなのでした。

積み重ねる、ということ

ふっと思った。

okanの価値観の柱って実は「積み重ねる」ということなのかもしれない。

 

okanが大切にしたいことは、「成長・貢献・自立」だと思っている。

でも、その中の「成長」って、実は「積み重ねる」ということなのかもしれない。

 

そう考えると、okanの日頃の感情や価値観も納得がいく。

 

「楽しい」だけの時間は、なんだか物足りない。

「楽しい」もいいけれど、その時間が「明日に繋がっている」という実感がほしい。

「積み重ねている」という実感がokanを満たしてくれる。

 

「明日」は不確かなのもので、「今」が大切だと思うけど、

やっぱり明日に繋がっていると実感出来ない時間は、

本当の意味で、okanを満たしてはくれない。

 

「成長」と「積み重ねる」「明日に繋がっている」という実感。

 

この「ブログを書く」と言う行為も、

「積み重ねている」という実感があるからこそ、満たされるのだと思う。

 

こうやって、自分にとって本当に大切なもの、大切な柱が明確になっていくことは、

なんだか嬉しい。

物理的忙しさは、物理的に奪われた時間以上の時間や思考を奪っていく

okanがこの週末にしみじみ感じていること。

それは、

「物理的忙しさは、物理的に奪われた時間以上の時間や思考を奪っていく」

ということ。

 

先週のokanの仕事は、ほんと忙しかった。

新規で急ぎの業務が入ってほんとバタバタ、毎日5時間越えの超過勤務・・・。

 

アラフィフフィフokanにとっては、

心身ともにクタクタ・・・。

 

そのしわ寄せが、

平日に、仕事以外のことを何もできない、考えられない、やりたくない、だけでなく、

仕事休みの土日も何もやる気が起こらず、何も考える気が起こらず、

冬眠のように過ごした・・ということ。

 

実際に超過勤務として物理的に費やした時間の何倍もの時間やエネルギーと、

トレードオフしたような感覚になった。

 

もちろん、人生においては、

全力ダッシュのような勢いで、取り組まなければいけない場面がある。

若い時は、その後、通常の0ベースにすぐに戻れるかもしれない。

でも、年を重ねると、リカバリー力は確実に低下していて、

なかなか0ベースには戻れない。

膨大な時間を費やすということは、

時間・エネルギー・気力等の総和で考えれば、累乗的量で費やしているということ。

 

その仕事内の業務は、本当にすべてが必要なことか?

その仕事の提出時の精度は、現時点で本当にそこまで必要か?

その仕事を一部を得意な人にお願いして効率化する方法はないのか?

 

20年以上働いているがゆえの凝り固まった「思い込み」を「見直す」。

 

時間も気力もエネルギーも有限で枯渇を感じるアラフィフokanにとっては、

仕事に対する向き合い方を久しぶりに考えさせられた休日でした。

「諦める」という扉は近くにある

okanの推しが、雑誌のインタビューで語っていた言葉。

 

何に対してもストイックに向かい合っている人。

と同時に「何をしても(マスターするのに)他の人より時間がかかる」と自分自身の不器用さを受け入れている人。

そして「その時間は自分にとっての大切な宝物」と自分自身が真剣に向き合っている時間をとても大切に思っている人。

 

そんな「諦める」というワードとは正反対の位置にいると思っていた推しが語った言葉。

 

「諦めるという気持ちがないわけじゃない。

 むしろ、自分の中に諦めるという扉が近くにあるのを知っている。

 何事に関しても。人生も含めて。

 でも、そこは最終だから、そこの扉を開けるのはいつだってできるし。

 ”あ、もういいや。全部やーめた”って諦めることはいつだってできる。

 そうしようと思ったらすぐにできちゃう感覚だから。

 それは仕事に関しても何に対してもそう。

 それを自分自身が知っているから、頑張れるんだと思う。」

 

それに対して、

記者も、

「”諦める”という扉が近くにあるとは意外でした。

 むしろ、一番遠いところになる言葉だし、扉なのかと思っていました。」

とコメントすると、

 

「ううん、全然近い。

 すごく近くにある。

 ずっと近くにあるよ。」

と答えていました。

 

「諦める」というを「ありえへんこと」として捉えるのではなく、

「諦める」ことが、自分のすぐ近くにあって、

その扉は、自分の気持ち次第でいつでも開けられるという自覚。

 

その扉の存在をしっかり正面から向き合って認めているからこそ、

今は諦めずにがんばろう、と思う。

 

素敵な捉え方だと思いました。

 

okan自身も、

自分の中にある「諦める」という扉の存在を受け入れながら、

時には、その扉の存在に支えられながら、

今は諦めずにがんばろうと思うokanなのでした。