ゴールデンウイーク、久しぶりにミシンを踏んだ。
(ちなみに、話はそれるが、
「ミシンを踏む」とは、ミシンで布を縫う、の意。
昔は、足踏み式だったから、こんなふうに表現するらしい。
okanが子供の頃は、すでに今と同じ電気ミシンだったから、
足踏み式ミシンは使ったことがないけどね。)
ミシンを踏んで改めて思ったこと、
それは、
「昔の人は、フローになる時間をいろいろもっていたんだなぁ」ということだった。
ミシンを踏んでいる間は、
布の上に描かれるミシンの軌跡に、すべての意識を集中する。
現在は、効率化のためにマルチタスクを重要視する風潮にある。
頭を使わない家事の間は、
「耳からの学習」や「耳からの情報収集」の同時進行を推奨するSNSや
それを可能としてくれるアイテムで溢れている。
でも、昔は、そんなアイテムはなかったよね。
ゴールデンウイークで気持ち的に余裕のあったokanは、
今日はネットから何も流さず、
ひたすらミシンを踏んだ。
踏み終わって、改めて思った。
ひとつのことに集中することは、フローに入ること、
とても心地よいことだと・・・。
今流行りの「タイパ」的視点で見ると、
決して効率的ではないだろう。
でも、ひとつのことに集中した後のスッキリ感は、
ある意味、いま流行りの「マインドフルネス」なのかもしれない。
昔、
お寺の崇高な住職は、
どんなに位があがっても、
ひとりで黙々と作務を行う時間を必ず作っている、という話を聞いたことがある。
家では、掃除、料理等の家事、
職場では、ルーティンの作業等、
身の回りには、フローになれる作業はいっぱいある。
そのひとつひとつを、
「繰り返しの意味のない時間」と捉えるのではなく、
「マインドフルネスな時間」と捉え、
その作業に集中する時間をしっかりと味わいたいなぁと思った
okanなのでした。