okanの手紙

3人の大切なこども達に遺したい言葉やメッセージ+時々あなた達の神語録。あなた達や、これを読んだ誰かの今を少しでも照らせたらokanはうれしい。

okanがokanになった頃の話 その2

大切に大切に育て過ぎた第一子。

育休中は、一度も病院受診することなく、

「この子って、めっちゃ丈夫なんちゃーーん」と思っていたけど、ただの幻想でした…。

単純に、感染する機会をシャットアウトしてただけ…。

免疫を得る機会もなく、無菌状態(?!)で過ごした長女は、

保育園に入った途端、いろんな感染症をもらいまくり(汗)

復職後1ヶ月は、ほとんど保育園に行けませんでした…。

今となっては、「子どもが熱を出したので、お仕事お休みします・・・。」もありだったと思うんだけど、

当時の職場は、私が事務職の育休復帰第1号。

復職早々「休みます」なんて言えない…(と、当時は思い込んでいた)。

 

そこでお世話になったのが「病児保育」。

働く親にはほんとありがたい施設で、病気中のこどもを看護+お預かりいただける小児科に併設された施設。

 

朝の満員電車に熱を出した我が子を抱っこして乗り、

病児保育施設に我が子を預け、私は仕事出勤。

そんな生活が1ヶ月ほぼ毎日続きました。

今となっては、なんのために、誰のために、

そんな1ヶ月を過ごしたんだろう〜って思うよね…。

子ども自身も、熱が出てしんどい中の移動で辛かっただろうなぁ~って思う。

職場だって、産休明けの職員に、そんなにたくさんの仕事は積んでいなかったはず…。

 

今思えば、多分、私自身の気負いだけ、だったんだろうね・・・。

私自身が、そうしたかっただけ、なんだよね、きっと・・・。

 

でも、それでよかったって今も思ってます。

なぜなら、その時の私はそうすると決めたから・・・。

 

働くママの心の葛藤、次回に続きます。